昨日仕事が終わって帰宅後、自宅で日課となっているダンベルでの筋トレとストレッチをしてから、この前デザインしたポスターの直しをするつもりだった。
TVを見ながら、筋トレしようと思い、TVにスイッチを入れた。
「○○しながら」勉強はできないのであるが、「ながら筋トレ」をしないと、トレーニングが続かないのである。 トレーニングはその日の気分で1時間だったり、30分だったりする。
昨日は、その後の予定を考えると、簡単に済ませてしまおうと思っていた。
なんとなく見ていたTVだったのに、インド映画の予告と共に流れてきたインド映画ミュージックが耳に入ってきたとたん、ひきつけられてしまった。(私、インド映画好きです・・・)
そしたら、なんと今やっている番組の後に放映されるという予告だった・・・
「まずい。 非常にまずい。 そんな映画をみている時間はないのはよくわかっているはず。ポスターの締め切りはあさって・・・今TVを消してしまえばいいのだ。見始めてしまったら絶対止まらなくなる。 今ならまだ間に合う・・・・」
こんな葛藤が心の中でぐるぐるし始めてしまった。
・・・・・・・・・
しかし、欲望に勝てず。
最後まで映画をみてしまった・・・今になって反省。
でも映画はとってもよかった。
定番のミュージカル風の音楽と踊り・・・これなくして、インド映画はありえない!
声がうらがえっちゃう女性の歌と、それに合わせた男性ボーカリストとの掛け合いが、これまた定番なんだけど、いい味だしてて、たまらない!
今回の映画は、ちょっとポリティカルな内容も盛り込んであり(パキスタンとインドの政治犯の釈放というストーリーを軸に、男女の恋愛とか家族愛が絡んでくるパターンだった。)、アメリカナイズされた若者の学園ものというちょっとポップな感じだった。
こういういろいろなお国の映画やドキュメンタリー番組なんかを、日常茶飯事でTVで見れるのが多民族国家であるオーストラリアのよいところの一つであると思う。(圧倒的にアメリカのTVが多いけどね・・・)
オーストラリアは移民の寄せ集めの国だけど、結構気に入っている。
・・・と言うそんな事より、早い所ポスターに取り掛からねば・・・
猫も、しっぽをいろいろなボディランゲージに使う。
でも犬ほど四六字時中、激しくぱたぱたと早く動かさない。・・・と思う。
結構大きな犬を飼っている私の友達の家に遊びに行くと、その犬によく私の太腿は、ばしばしっと叩かれる。これが同じ所をずーっと叩かれるとかなり痛くなってくるのだが、嬉しそうな犬の顔見てると、そうそう怒れなくなる・・・結局、私が足を動かす羽目になってしまう。
しんじくんのしっぽは、いつも優雅にゆったり、しなるように上下に動く。時々「パタッー・・ パタッー・・」とやや早めに動く時もある。この時の空気は、結構張り詰めていたりする。
しかし、大概ドターッと寝ている時でも、尻尾の先っぽだけが、小さく上下に動いている。 まるで、寝息のリズムと一緒に動いているみたいに動く。
この前、ちょっと興味をそそられて、その動いている尻尾の先っぽの毛を指で押さえてみた。 果たして尻尾は、ハエなどの虫を追い払う牛や馬の尻尾の動きのように「パシッパシッ」と動き、私の手は追い払われた。
今度はそーっと動きが止まっている尻尾の毛先を押さえてみた。 「ピクッピクッ」と反応があった。
そんな毛先にまで神経が行き届いているのだろうか・・・・
それとも気配で気がついたのだろうか・・・
もしかしたら、私の指が動くのを、息を潜めて待ち構えていたのか・・・
しんじくんは、わたしの心の動きをよく先読みするようだ。
やっぱり、猫って頭よさそうだなぁ。
最近、しんじくんは、やたら私の後を付いて回り(まるでストーカーのような言われ方?!)、なぜかかなりの甘えん坊である。
時々、どういう風の吹き回しか分からないが、人恋しい(?)時期があるように見受けられる。
そういう人恋しい(これはあくまでも私が勝手にそう思っているだけだが)時は、私の足元にくっついてまわるので、うっかりすると、しんじの足やらしっぽやらを踏んづけたりしちゃう。
(「ねこ踏んじゃった~♪」なんだけど、しんじくんは、それでも何も言わない。そんな時に何か言われた記憶が今思い起こしても全くない。辛抱強いのだろうか・・・?)
それでも、尻尾を私の足に絡ませたり、体をこすりつけながら、私の足の周りをぐるぐる回ったり・・・
そして、たまに私の足を舐めたりする。(ちなみに猫の舌はざらざらしているので、ペロっていう可愛い感じではない。)
こうまでされると、「なにか魂胆があるのかぁ?」とひねくれて考えてしまう。
結局一通りの愛情を示し終わった後は、いつもの如くすたすたと気が向く所へ去っていってしまうのだった。・・・・
うぅぅーん、さすがは猫!
昨日のあるTVで、「ペットを飼っている人のストレスレベルは、ペットを飼っていない人と違うのか?」という話をしていた。結果は「YES」。
ペットを飼っている人のストレスレベルの方が低いらしい。
そして、オーストラリアでは、犬を飼っている人の割合は、猫を飼っている人より多いそうだ。(なんとなく、オーストラリアに限らない気がするが・・・)
犬と猫。それは全然タイプが違う。
犬を飼っている人と、猫を飼っている人のタイプも違う気がする。(もちろん、両方飼っている人もいるので、一概には言えないが・・・)
猫の顔の表情筋は、犬のそれと比べて少ないらしい。だから感情の表し方に違いがあるという。
そういう点も、猫好き、犬好きに分かれる事に貢献しているのではないだろうか。
私は、猫の感情の表し方が好きである。
人間のあしらい方なんて、「本当に頭がいいな、こいつ・・・」などと思ってしまう。
そしていそいそと、しんじの為にあれやこれやとしてしまう自分も結構好きである。
だからといって犬が嫌いなわけでもない。
高校生の時は、犬を飼っていた。
アラン君という雑種だったが、かなりかわいい奴だった。(もう既に他界しておる。)
でも犬は、「遊んでぇー、かまってぇー」という要求が激しいように思う。
だんだんと、四六時中、そういう要求をされるのがうっとおしいと思う年になってきているのかも知れない。(なんか、孫にしつこくせがまれてるおばあちゃんの心境に似てるかな?)
それって、かなりやばい?!
伝えたい事がある。
でも、うまく形にできない。
言葉にしていくそばから、それが違ったものになっていく気がして、黙り込んでしまう。
もどかしい。
同じ言葉を理解しているはずなのに、なぜ相手に伝わらないのだろうか?
それならいっそ、言葉が理解できないほうがましかも知れない。
理解しようと努力してくれるかも知れないし、理解してもらえなくても自分に言い訳ができるから・・・
コミュニケーションって本当に難しい・・・